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花漾の結末、あなたはどう思う? [電影《花漾》]

 花漾のfacebookより。監督記で、結末に関してですね。いつもジェリーに関わるものだけをピックアップしています。監督は他の役者さんやストーリーについても言及しています。





 もちろんネタバレをかなり含みます!ご注意をね。







【花漾。。導演筆記。。】
《花漾的結局......妳/你覺得呢?…》


上映以來,我每晚跑一場映後座談,親自感謝來看電影的觀眾,也表示對自己電影的負責。
(抱歉只跑了台北、高雄,請原諒我只有一個身軀,無法出現在每一個場次)

每次映後,最有趣的橋段就是一項民調:關於結局,到底小霜是被救活了?還是死了?
每一場的觀眾氣氛都略有不同,大多時候都是6:4或是相反4:6,但整體說來,平均約是五五波,也就是:一半觀眾認為小霜還活著,有些則認為小霜死了----「刀疤救小霜這段連接著鬼船的畫面,都像是不真實的存在,所以應該是說書人的想像,是說書人美化的結局。其實小霜死了。」
「小霜在船上最後與刀疤相擁的畫面,我認為是小霜死前在心中一直想要擁有的遺憾心態,而衍演出來的畫面;至於刀疤回眸,他應該是繼承海爺的精神,繼續保護著這座對他們來說無比重要的"家",而他對小霜的情感也就漸漸地一直放在心裡或者用另外一種方式繼續愛著。」
「我還滿心疼南管先生的。正常人看到痲瘋都會怕啊!正常反應麻!但他後悔了,還是有愛啊!導演這段挺真實的;但最後兩人相遇卻不相認,導演挺殘忍的。」

「不,我認為小霜和刀疤回到島上在一起了,連小孩都有了。」
「刀疤救了小霜,大家都活著。但如果小雪也跟樂師相認就好了。」

也許,開放性結局就像是一面鏡子,會映照出我們觀者的個性與期望,所以也有人覺得:就不需要定論吧。
「兩人在一起就是桃花源...死活不重要了!!」
「結局保留彈性很好,很美。」
「最後一幕看到刀疤救小霜的時候感覺上是有活著...但是兩人搭船的畫面感覺又好像死了...感覺,愛情上每個人都大輸...只有小霜和刀疤其實是在一起的(就算死了...)」

其實,愛情雖像一盤賭局,但並無法論輸贏的。電影裡每個主角,輸贏都是幻象啊;但他們都認真活出自己,成就了自己的主體性,也體現了各自的價值觀。有沒有愛到是天命,但自我完成了,這樣就夠了。(舉例:文秀透過哭瞎自懲,完成自己的純粹;小霜透過被流放,完成自我的犧牲…)

透過這八個角色,這方流嶼就像一座舞台,當歌妓一開場唱著:「生死無界、人鬼不分,孤魂野鬼,笑我人生殘夢」時,這歌聲其實就已經把電影主題給點出來了。

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【花漾。。導演筆記。。】
《花漾の結末......あなた(女)/あなた(男)はどう思う…?》


 映画公開以来、私は毎晩の放映後に座談会を開いて、映画を見に来てくれた観客の皆さんに感謝し、自分の映画に対する責任を表しました。
(ただ、台北と高雄だけだった事を申しわけなく思う、私の身体は1つだけということでお許しを。)

 毎回放映後に、一番興味深いのは民意調査。
 結末に関して、結局のところ小霜(アイビー)は助けられて生きているのか?それとも死んでしまったのか?
 毎回、会場の雰囲気がちょっとずつ異なっているので、多い時で6:4、逆の時は4:6、でも全体で見たら平均してほぼ五分五分、という事はつまり、半分の観客が小霜(アイビー)が生きていると思っているということ、反対に小霜(アイビー)が死んだと思っている人もいるということ----
「刀疤(ジェリー)が小霜(アイビー)を助けたこのシーンは幽霊船のシーンにつながっていて、全てがまるで現実の存在ではないようだから、もちろんストーリーテラーの想像であり、ストーリーテラーが美化した結末でしょう。現実には小霜(アイビー)は死んだ。」
「小霜(アイビー)が船上で最後に刀疤(ジェリー)と抱き合うシーン、私が思うに小霜(アイビー)が死ぬ前にずっと心でそうしたいと願っていた後悔の念で、それが演出されたシーンでは。 刀疤(ジェリー)について見てみると、彼はもちろん海爺(サイモン・ヤム)の精神を受け継ぎ、彼らにとって最重要な”家”を守り続け、小霜(アイビー)への気持ちを心に留め置くか、または別の方法で愛し続けていくと思います。」
「私は南管の先生(ジョセフ)があまりに可哀そう。普通の人が痲瘋を見たらきっと誰でも怖がるでしょう!正常な反応ですよ!しかし彼は後悔し、愛があるんです!このシーンはリアル。でも最後2人は遭遇するも分からないなんて、監督はとても残忍。」

「いいえ、私は、小霜(アイビー)と刀疤(ジェリー)は島に戻って一緒にいて、子供もいると思う。」
「刀疤(ジェリー)が小霜(アイビー)を助けたんだから、どっちも生きています。でも小雪(ミシェル)も演奏者(ジョセフ)ともし分かりあえたなら良かった。」

 もしかしたら収束しないタイプの結末は1枚の鏡のようで、私達見ている側の性格と期待を映し出すのかも。だから「正解は要らないでしょう」と思う人もいる。
「2人が一緒ならまさにユートピア...生死はもう重要ではありません!!」
「結末に振れ幅を残すのはとても良い、美しいです。」
「最後のシーンでは、刀疤(ジェリー)が小霜(アイビー)を助けた時の感じからすると生きていると...でも2人が船に乗っていたシーンはまるで死んでいような感じ..、思うに、愛に関してはどの人も大敗...ただ小霜(アイビー)と刀疤(ジェリー)だけが一緒になった(たとえ死んでいたとしても…)」

 実は、愛とは賭場のようですが、しかし勝ち負けを論じることはできません。映画の中のどの主役たちも、勝ち負けは幻。しかし彼らは誰も真剣に自分を生き、自分を成し遂げ、また各自それぞれの価値観を体現しました。愛は運命かもしれない、でも自我が完成すれば、それで十分なのです。(例:文秀(ジョセフ)は泣きすぎて失明することにより自らを罰して、自分の純粋さを完成した。小霜(アイビー)は流されることで、自己犠牲を完成した…)

 この8つの役と、この島はまるで舞台のよう、歌妓が映画スタート時に「生死の堺がない、人と幽霊の区別がない、孤独な魂の彷徨う幽霊、私の人生の終わらない夢を笑う」と歌う時、この歌声は実はもう映画のテーマを提示しているのです。
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 結末のウヤムヤと表現力に不満で、ダイレクトに訴えている方もいるんだけどスルーされてます。でも書いてある通りの事が表現されているのならまさに美しい芸術作品ですね。

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